「先生、入れ歯って結局いくらかかるんですか」

診療室でこの質問をされない週は、まずありません。
そして多くの方が、そのあとに小さな声で続けます。
「ネットで調べたら3万円とも50万円とも書いてあって、何を信じたらいいのか分からなくて」

歯科医師の佐藤佳織と申します。
1995年に歯学部を出て都内の歯科医院に10年勤め、2005年に自分のクリニックを開きました。
専門は予防歯科と歯周病、それから年齢を重ねた方の口腔ケアです。

入れ歯の費用が分かりにくいのは、金額の幅が広いからというより、「何によって金額が動くのか」が説明されないまま数字だけが並んでいるからだと思っています。
この記事では保険と自費それぞれの中身を分解して、費用を動かしている要素を整理します。
読み終わるころには、見積書を見て「なぜこの金額なのか」が判断できるようになるはずです。

入れ歯の費用を決めているのは「保険か自費か」の分かれ道

いちばん最初の分岐点は、健康保険を使うかどうかです。
ここで数千円の世界と数十万円の世界に分かれます。

保険の入れ歯は全国どこでも同じ計算式

保険診療の値段は、国が決めた診療報酬点数に沿って計算されます。
1点あたり10円で、この点数表は全国共通。
北海道でも沖縄でも、同じ入れ歯を作れば同じ金額になります。

つまり保険の入れ歯は、医院が値段を決めているわけではありません。
「あの先生は高い」という話は、保険診療に関しては原則として成り立たないのです。

自費の入れ歯は医院が価格を決める

一方、自費診療は各医院が自由に価格を設定します。
使う材料、設計の精密さ、型取りの回数、担当する歯科技工士の技術。
このあたりが積み上がって金額になるため、同じ「金属床の入れ歯」でも医院によって20万円近い差が出ることがあります。

費用以外にも違いが出るところ

保険の入れ歯自費の入れ歯
費用の目安数千円〜4万円程度10万〜150万円程度
床(土台)の材料主にレジン(樹脂)金属、シリコン、樹脂など選べる
厚み厚くなりやすい薄く作れる
バネ金属のバネが基本目立たない設計も選べる
作り直し原則6か月に1回まで制限なし
保証制度としてはなし医院ごとに設定(3〜5年など)

保険の入れ歯が劣っているという話ではありません。
限られた材料と工程で機能を回復させる設計になっていて、これで十分に快適だという方をたくさん診てきました。
ただ、選べる幅が狭いことは確かです。

保険の入れ歯は実際にいくらかかるのか

具体的な数字を見ていきます。
2026年6月の診療報酬改定後の点数をもとにお伝えします。

部分入れ歯は「失った歯の本数」で変わる

部分入れ歯(局部義歯)の点数は、補う歯の本数で区切られています。

  • 1歯から4歯まで:624点
  • 5歯から8歯まで:767点
  • 9歯から11歯まで:1,042点
  • 12歯から14歯まで:1,502点

1点10円ですから、4歯までの部分入れ歯なら入れ歯そのものは6,240円という計算になります。
3割負担の方の窓口負担でいえば約1,870円です。

ただ、実際に支払う金額はこれだけでは終わりません。
診察料、型取り、噛み合わせの記録、装着、その後の調整が加わって、総額はおおむね5,000円から15,000円程度に収まることが多いです。

総入れ歯は1顎あたり2,500点が基準

総入れ歯(総義歯)は片方の顎につき2,500点、つまり25,000円です。
3割負担なら7,500円が入れ歯本体の負担額になります。

こちらも諸費用を含めると、片顎で1万円から2万円程度。
上下どちらも作る場合は2万円から4万円程度をみておくと安心です。
後期高齢者医療制度で1割負担の方なら、この3分の1ほどになります。

なお9歯以上の欠損では、入れ歯に金属の芯を埋め込む補強加算が150点つくことがあります。
割れやすい大きな入れ歯を長持ちさせる処置で、2026年の改定で新設されました。

3Dプリントの入れ歯が保険でも作れるようになりました

ここ1年でいちばん動きがあったのがこの分野です。
2025年12月に3Dプリンターで作る総入れ歯が保険に収載され、2026年6月の改定で「3次元プリント有床義歯」として1顎4,000点が正式に設定されました。

ただし、どの歯科医院でも作れるわけではありません。
補綴治療の経験が3年以上ある歯科医師の在籍、液槽光重合方式の造形装置または対応できる技工所との連携、歯科技工士の配置といった施設基準を届け出た医院に限られます。
対象も、上下とも歯が残っていない方が上下同時に新しく作るケースに絞られています。

窓口負担は従来の保険の総入れ歯より数千円上がる程度です。
関心がある方は、かかりつけの医院が届出をしているか尋ねてみてください。

自費の入れ歯で金額が変わる4つのポイント

自費の見積もりが10万円になるか80万円になるか。
その差を生んでいるのは、だいたい次の4つです。

種類特徴費用の目安
自費のレジン床設計や型取りを精密にした樹脂の入れ歯10万〜30万円
コバルトクロム床薄くて丈夫。金属床の定番30万〜50万円
チタン床軽く、金属アレルギーが出にくい40万〜60万円
ノンクラスプデンチャー金属のバネがなく目立ちにくい15万〜40万円
インプラントオーバーデンチャーインプラントで入れ歯を固定する50万〜150万円

床(土台)を何で作るか

口の中の粘膜に接する土台部分を「床」と呼びます。
保険ではレジンという樹脂ですが、自費では金属を選べます。
チタンがコバルトクロムより高いのは、軽くて金属アレルギーが出にくく、そのぶん加工に手間がかかるからです。

金属にすると床を薄くできるので、上あごを覆う面積が減って味や温度を感じやすくなります。
「お味噌汁が久しぶりに熱いと思えました」と言われたときのことは、今でもよく覚えています。

バネをどう処理するか

部分入れ歯で見た目を気にされる方が多いのが、隣の歯にかけるバネです。
金属のバネを使わない設計にはいくつか種類があります。

  • 残った歯に留め具を組み込むアタッチメント義歯は、1か所あたり5万〜10万円ほど追加
  • 磁石で留めるマグネットデンチャーは、残った歯根を処置する費用が別にかかる
  • 茶筒のように歯にかぶせて固定するテレスコープ義歯は、設計が複雑なぶん高額になりやすい

留め具の数が増えれば、その分だけ費用も上がります。
見積もりでは、留め具が何か所ぶん計上されているかを確認してみてください。

土台にインプラントを使うかどうか

下あごの総入れ歯が動いて困る方に、インプラントを2本ほど埋めて入れ歯を留める方法があります。
インプラントオーバーデンチャーと呼ばれるもので、費用は50万〜150万円程度。
埋める本数と骨の状態で大きく動きますし、CT撮影や骨造成が必要ならそこにも費用がかかります。
総額を聞くときは、手術費用まで含んだ金額かどうかを必ず確認してください。

人工歯と裏装のグレード

見落とされがちなのが、噛む部分の歯(人工歯)です。
すり減りにくい硬質レジンやセラミックの歯を選ぶと、そのぶん加算されます。
歯ぐきの当たりが痛い方向けに、床の内側へ軟らかいシリコンを貼る方法もあり、こちらは片顎で10万円前後の追加が目安です。

保険と自費のあいだにある「金属床総義歯」という選択肢

あまり知られていないのですが、保険と自費のちょうど中間にあたる制度があります。

差額を払えば保険診療のまま金属床にできる

金属床の総入れ歯は、厚生労働省が定める「選定療養」の対象です。
選定療養とは、患者さんが希望して特別な費用を払うことで、保険診療と保険外の材料を組み合わせられる仕組み。
制度の全体像は厚生労働省の保険外併用療養費制度についてにまとまっています。

この方法なら、診察や型取りといった技術料には保険が使えて、金属床にした分の材料差額だけを自費で払う形になります。
完全な自費より負担が軽くなるケースがあります。

使う前に確認しておきたいこと

金属床総義歯の差額を受け取る医院には、その内容と料金を院内の見やすい場所に掲示する義務があります。
掲示が見当たらないときは、遠慮なく料金表を見せてもらってください。
なお部分入れ歯は対象外で、あくまで総入れ歯だけの制度です。

費用の話は「作るとき」で終わりません

入れ歯の費用を考えるうえで、私がいちばんお伝えしたいのがここです。

保険には6か月ルールがある

保険で入れ歯を新しく作った場合、次に保険で作り直せるのは原則6か月後からです。
これは昭和56年に出された厚生労働省の通知有床義歯の取扱いについてで定められています。

遠方への引っ越しで通えなくなった場合や、急な歯のトラブルで欠損の本数が変わった場合は例外として認められます。
それでも「合わないからすぐ作り直す」が効かないことは、頭に入れておいてください。

なおこの6か月のあいだも、修理や調整、内側の作り直し(リライン)は受けられます。
痛みや外れやすさを我慢せず早めに相談したほうが、結果的に安く済みます。

何年使えるかで割り算してみる

保険の入れ歯の耐用年数は、おおむね3年から5年が目安です。
自費の金属床は素材がたわみにくいぶん、それより長く使える方が多い印象があります。

仮に保険の総入れ歯が3万円で4年もったとすると、1年あたり7,500円。
40万円の金属床が10年もったとすると1年あたり4万円です。
数字にすると差は歴然ですが、この10年間の食事の満足度をどう見積もるかは、その方の暮らし方次第です。
ここは正直、私も一律の答えを出せません。
「安いほうで様子を見て、合わなければ考える」も立派な選択だと思っています。

顎の骨は少しずつ変わっていきます

高い入れ歯を作れば一生使えるかというと、そうはいきません。
歯を失った部分の骨は年月とともに痩せていくので、どんな入れ歯でも定期的な調整は必要です。
日本補綴歯科学会が公開している有床義歯補綴診療のガイドラインにも、装着後の管理の重要性が繰り返し出てきます。

医療費控除で戻ってくるお金もあります

自費の入れ歯を検討している方は、確定申告での医療費控除を忘れないでください。

自費の入れ歯も対象になります

国税庁の医療費控除の対象となる歯の治療費の具体例では、金やポーセレンといった材料も「歯の治療材料として一般的に使用されている」として控除の対象に含めています。
金属床やノンクラスプデンチャーも、治療が目的なら同じ考え方です。

対象になるのは、1年間に支払った医療費のうち10万円(所得200万円未満の方は所得の5%)を超えた分。
ご家族の分も合算できるので、40万円の入れ歯なら十分に届きます。

手続きで気をつけたいところ

  • 治療費のローンやクレジット払いも、支払った年の医療費に含められる
  • 通院にかかった公共交通機関の運賃も対象になる
  • 自家用車のガソリン代と駐車場代は対象外
  • 領収書は自分で5年間保管する(提出は明細書のみ)

見た目を美しくするためだけの費用は対象外とされていますが、噛む機能を回復する入れ歯であれば問題ありません。

見積もりをもらったら聞いてほしいこと

最後に、費用で後悔しないための質問を挙げておきます。
どれも診察室で聞いて構わない、当たり前のことばかりです。

  • この金額には調整や修理の費用まで含まれていますか
  • 保証はありますか、何年ですか
  • 保険で作った場合はどうなりますか
  • 何回くらい通うことになりますか
  • 合わなかったときはどこまで直してもらえますか

いちばん大事なのは3つ目です。
自費をすすめられたときこそ、保険の選択肢も並べて説明してくれるかどうかを見てください。
両方の長所と短所を話してくれる先生なら、まず信頼していいと私は思っています。

まとめ

入れ歯の費用を動かしているのは、保険か自費かという入口の違い、失った歯の本数、床の材料、留め具の設計、そしてインプラントを使うかどうかです。
保険なら数千円から4万円程度、自費なら10万円から150万円程度という幅は、この積み重ねで生まれています。

そして入れ歯は、買って終わりの道具ではありません。
作ったあとの調整や修理も含めて、何年つき合えるかで費用を見てください。

歯は老後の資産だと、私はずっと言い続けています。
入れ歯はその資産が目減りしたあとの立て直し役ですが、うまく立て直せば食べる楽しみはきちんと戻ってきます。
まずは今の口の中を診てもらって、選べる選択肢を全部並べてもらうところから始めてみてください。