「先生、これ、悪いものじゃないですよね」
診療台に座るなり、頬の内側を指でめくって見せてくださる方が、月に何人かいらっしゃいます。
鏡でたまたま見つけた黒っぽいふくらみが気になって、数日そわそわしていたとおっしゃいます。
横浜で歯科医院を開いております、佐藤佳織と申します。
予防歯科と歯周病を専門に、三十年ほど患者さんのお口の中を見てきました。
口の中の血豆は、その多くが「噛んだ傷」です。
ただ、ごく一部に、体からのサインとして現れるものが混じっています。
その線引きをどこで引けばいいのか、診療室でお伝えしている内容をまとめました。
読み終えるころには、ご自身の血豆を落ち着いて観察できるようになっているはずです。
目次
口の中の血豆は、粘膜の下で起きた小さな出血です
皮膚の血豆とは、少し成り立ちが違います
血豆と聞いて多くの方が思い浮かべるのは、指をドアに挟んだときにできる、あの黒い豆でしょうか。
口の中にできるものも、仕組みはよく似ています。
粘膜のすぐ下を走る細い血管が、外からの力で破れる。
そこから漏れ出た血液が粘膜の下にたまり、袋状に盛り上がる。
これが口腔内の血腫、いわゆる血豆です。
違うのは、まわりの環境です。
口の中の粘膜は皮膚よりずっと薄くやわらかく、唾液で常に潤っています。
そのぶん傷つきやすい代わりに、治る速さは体のどこよりも早い部類です。
ふつうの血豆なら、放っておいても一週間ほどで気にならなくなります。
血豆ができやすい場所は決まっています
長く診ていると、血豆は「よく出る場所」が決まっているのが分かります。
- 頬の内側で、上下の歯が噛み合う高さの一直線上
- 舌の縁(側面)で、奥歯が当たるあたり
- 下唇の内側
- のどに近い、やわらかい上あご(軟口蓋)
上の三つはいずれも歯が届く場所で、噛んだ心当たりを探しやすい場所でもあります。
四つ目の軟口蓋だけは歯が届きませんので、ここに突然できたときは少し話が変わってきます。
色の変わり方が、治りかけの目印になります
できたばかりの血豆は、鮮やかな赤紫色をしています。
そこから二、三日かけて黒っぽく濃くなり、やがて茶色を帯びて、輪郭がぼやけながら薄くなっていきます。
皮膚のあざが青から黄色へ移っていくのと同じで、たまった血液が分解されていく過程です。
薄くなる方向へ動いているなら、体はきちんと片づけを進めています。
逆に、色も大きさも一週間以上変わらないときは、少し立ち止まったほうがよい合図です。
噛んだ傷でできる血豆の、よくある原因
自分では気づいていない噛み癖
「噛んだ覚えなんてないんです」
そうおっしゃる患者さんの頬の内側に、細く白い線がくっきり残っていることがあります。
歯の噛み合わせの位置に沿ってできる、慢性的な刺激の跡です。
日中の食いしばりや寝ている間の歯ぎしり、考えごとの最中に頬の内側を吸い込んで噛む癖。
どれも本人の自覚がほとんどありません。
疲れている日や、睡眠が浅い時期に急に血豆が増える方は、この線を疑ってみる価値があります。
詰め物・被せ物・入れ歯が当たっている
同じ場所に繰り返し血豆ができる。
この訴えでいらした方の口の中を見ると、原因が形として残っていることが少なくありません。
欠けた歯の鋭いふち、少し尖った銀歯のへり、当たりの強い入れ歯の縁。
矯正装置を入れたばかりの時期も、粘膜が慣れるまではよくできます。
こうしたケースは原因が目に見えるぶん、角を丸めたり入れ歯を調整したりするだけで、ぴたりと出なくなります。
繰り返す血豆は「体の異常」より先に「口の中の形」を疑う、というのが私の順番です。
熱いもの、硬いものを急いで食べたあと
熱々のグラタンを急いで口に運んだ翌日、上あごの奥に黒い血豆ができていた。
そんな経験はありませんか。
歯の届かない軟口蓋に、痛みもなく突然できる血疱は、医学的にはABH(突発性口腔内血腫)と呼ばれています。
日経メディカルの解説記事いつのまにかできて消える口腔内の血疱によれば、熱いものや硬いもの、ざらざらしたものを急いで食べた後の発症が目立ち、中年以降に多いとされています。
血疱は一、二日で破れ、そのあと一、二週間で跡を残さず治っていきます。
血液の病気とは関係なく起こるものですが、喘息などで吸入ステロイドを使っている方に多いという指摘もあります。
まれに血疱が大きくなって息苦しさにつながった報告もありますので、のどの奥に大きなふくらみができて呼吸が苦しいときだけは、様子見をせずに受診してください。
心配のいらない血豆の見分け方
まず思い出したいのは「心当たり」の有無
診療室で私が最初に伺うのも、この一点です。
食事中に噛みませんでしたか、熱いものを急いで食べませんでしたか、と。
きっかけがはっきりしていて、痛みがあって、日ごとに小さくなっている。
この三つがそろっていれば、まず心配のいらない血豆と考えています。
逆に、いつからあるか分からず、痛みもなく、大きさが変わらないもののほうが、私たちは気をつけて診ます。
痛くないから安心、とは限らないのが、口の中の難しいところです。
様子を見てよい血豆と、相談してほしい血豆
診療室でお伝えしている目安を、表にしました。
| 見るところ | 様子を見てよい血豆 | 相談してほしい血豆 |
|---|---|---|
| きっかけ | 噛んだ、熱いものを食べたなど心当たりがある | 思い当たることがない |
| 経過 | 数日で色が薄くなり、1〜2週間で消える | 2週間たっても変わらない、大きくなる |
| 痛み | 最初は痛く、だんだん和らぐ | 最初から痛くない、または痛みが増していく |
| 手ざわり | 押すとやわらかく、周囲は正常 | 底に硬いしこりを触れる、周囲が盛り上がる |
| 数 | ひとつだけ | いくつも、あちこちにできる |
| 全身の様子 | ほかに変わりはない | 手足のあざ、鼻血、歯ぐきの出血を伴う |
右側に当てはまる項目が一つでもあれば、迷わずご相談ください。
早く来すぎて叱られることは、絶対にありません。
潰していいですか、という質問への答え
これは本当によく聞かれます。
私の答えは「触らないでください」です。
血豆の袋は、粘膜という天然の絆創膏で覆われています。
針でつついたり、歯で噛み切ったりすると、その覆いが破れて傷がむき出しになる。
そこに食べ物や細菌が入り込み、しみる痛みが長引いたり、治りが遅れたりします。
つい舌先で確かめたくなりますが、その一手間が回り道になります。
自然に破れてしまった場合は、慌てなくて大丈夫です。
刺激の強いものを避け、いつもどおり歯みがきとうがいで口の中を清潔に保っていれば、多くは数日で落ち着きます。
血豆に見えて、別の病気が隠れていることもあります
血が止まりにくくなる病気やお薬
血小板は、出血を止めるはたらきを担う血液の成分です。
これが減ると、ふだんなら跡も残らないような小さな刺激で、粘膜の下に血がたまるようになります。
難病情報センターの特発性血小板減少性紫斑病の解説では、血小板が5万/µLを下回るころから出血傾向がはっきりしてきて、1〜2万/µL以下になると口の中の出血や鼻血、血尿といった症状が現れるとされています。
白血病などの血液の病気でも、歯ぐきからの出血や粘膜のあざが早い段階で出てくることがあります。
お薬の影響も忘れられません。
心筋梗塞や脳梗塞の予防で、血をさらさらにするお薬を飲んでいる方は、もともと血がにじみやすい状態にあります。
ただし、血豆が気になるからと自己判断でお薬をやめるのは危険です。
まずは歯科と処方元の主治医に伝えるところから始めてください。
何度もできる、あちこちにできる、というとき
一つの血豆そのものより、私が気にしているのは「出方」です。
同じ場所に繰り返すなら、原因は口の中の形にあることがほとんどです。
気をつけたいのは、頬にも舌にも唇にも、場所を変えて次々と出てくるようなケースです。
身に覚えのない青あざが腕や足に増えていたり、歯みがきのたびに歯ぐきから血がにじんだりしていれば、口の中だけの問題ではない可能性を考えます。
こういう場合、私は血液検査をお願いするために内科への紹介状をお渡ししています。
歯科で完結させないほうがよい場面が、確かにあるのです。
血豆とよく似た別のできもの
見た目が血豆に似ていて、まったく別のものもあります。
- 粘液嚢胞:下唇の内側にできる、透明から青みがかった4〜5mmほどのふくらみ。唾液の通り道が傷ついてできるもので、痛みがなく、放っておくと再発を繰り返します
- 静脈湖:唇や舌の裏に見られる、やわらかい青紫色のふくらみ。加齢に伴う血管の変化で、年配の方によく見られます
- 色素斑:メラニンの沈着によるもので、押しても色が抜けず、盛り上がりもありません
そして、忘れてはならないのが悪性のできものです。
日本口腔外科学会の口唇や頬の粘膜に黒い色素斑があるという解説では、口の中の悪性黒色腫は50歳以降に多く、硬い上あごや上の歯ぐきに現れやすいこと、予後が極めて厳しいことが説明されています。
黒い色素を伴わないタイプもあるため、見た目だけで判断するのは専門家でも簡単ではありません。
口腔がんも同様です。
国立がん研究センターのがん情報サービスでは、粘膜の色が赤や白に変わる、形が変わる、しこりができる、治りにくい口内炎が続くといった症状が挙げられています。
とくに舌がんは舌の縁にできやすく、まさに噛みやすい場所と重なります。
「いつも噛むところだから」と自分で説明をつけてしまうと、発見が遅れます。
受診の目安と、血豆をつくらない毎日のケア
二週間をひとつの区切りに
口の中の傷は、治る力がとても強い場所です。
その口の中で二週間治らないというのは、それ自体が情報になります。
私は患者さんに、次のような場合はすぐに来てくださいとお伝えしています。
- 2週間たっても消えない、または大きくなっている
- 表面がただれて、白や赤に変色してきた
- 底に硬いしこりを触れる
- 血が止まりにくい、あるいは繰り返し出血する
- 短期間に何度も、いろいろな場所にできる
- 手足のあざ、鼻血、歯ぐきからの出血を伴う
ひとつでも当てはまるなら、待つ理由はありません。
日本口腔外科学会の口腔の悪性腫瘍の解説にも、口腔がん全体の5年生存率は60〜70%で、初期のものはほとんどが治癒すると書かれています。
早く見つけることの意味は、それだけ大きいのです。
どこを受診すればよいか
まずはかかりつけの歯科医院で構いません。
そこで詳しい検査が必要と判断されれば、歯科口腔外科や総合病院を紹介してもらえます。
血液の病気が疑われる場合は内科へ、という流れになります。
受診のときは、いつからあるか、心当たりのきっかけ、大きさの変化の三つをメモして持ってきていただけると、診断がぐっと早くなります。
スマートフォンで撮っておいた写真も役に立ちます。
腫れが引いた後に来られても、当時の様子が分かりますから。
月に一度のセルフチェックを習慣に
日本口腔外科学会は、中高年の方に月1回のセルフチェックを強くすすめています。
明るい場所で口を大きく開け、頬の内側を指で広げ、舌を出して縁と裏側まで見る。
慣れれば一分で終わります。
私自身は、月初めに歯ブラシを交換する日と一緒にやることにしています。
予定に紐づけておくと、忘れません。
そのうえで、欠けた歯やとがった詰め物を放置しない、合わない入れ歯を我慢して使わない、疲れているときはよく噛んでゆっくり食べる。
地味ですが、これがいちばん効きます。
まとめ
口の中の血豆は、ほとんどが噛んだ傷です。
心当たりがあって、痛みがあって、日を追うごとに薄くなっていくなら、そっとしておけば消えていきます。
潰さないこと、それだけは守ってください。
気にかけていただきたいのは、心当たりがなく、痛みもなく、二週間たっても変わらないもの。
そして、体のあちこちに同時にサインが出ているとき。
血豆はときどき、口の中よりずっと奥にある変化を、いちばん先に教えてくれる伝言板になります。
歯は老後の資産だと、私はずっと言い続けてきました。
その資産を守っているのは、歯そのものより、まわりの粘膜や歯ぐきだと感じています。
畑の野菜と同じで、毎日見ている人は、小さな変化にいちばん早く気づけます。
お茶を淹れる合間にでも、月に一度、ご自分の口の中をのぞいてみてください。
その一分が、何年か先のあなたを助けてくれると本気で思っています。



