はじめまして。歯科医師の佐藤佳織です。横浜でクリニックを開業し、30年近く、多くの患者さんのお口の健康と向き合ってきました。
「朝起きると、なんだか顎がだるい」「口が開きにくい気がする」
最近、そんなお悩みで来院される方が増えているように感じます。特に40代、50代を過ぎると、これまで感じなかったお口の変化に戸惑う方も少なくありません。その不調、もしかしたら寝ている間の「歯ぎしり」が原因かもしれません。
歯ぎしりは、自分では気づきにくい厄介な癖です。しかし、放置してしまうと、大切な歯や顎に大きな負担をかけ、将来のお口の健康を脅かすことにもなりかねません。私のクリニックでも、患者さん向けのニュースレターでこのテーマを取り上げたところ、大変多くの反響をいただきました。
この記事では、長年の臨床経験をもとに、朝の顎のだるさの正体である「歯ぎしり」について、そしてその大切な歯を守るための「マウスピース」の効果と選び方について、専門用語も丁寧に解説しながら、じっくりとお話ししていきたいと思います。この記事を読み終える頃には、ご自身の症状への理解が深まり、具体的な対策の一歩を踏み出せるはずです。どうぞ、最後までお付き合いください。
目次
朝の顎のだるさの原因は「歯ぎしり」かもしれません
歯ぎしりとは何か
歯ぎしりは、医学的には「ブラキシズム」と呼ばれます。多くは睡眠中に無意識に行われるため、ご自身で気づくのは非常に難しいのが特徴です。ご家族に指摘されて初めて知った、というケースがほとんどでしょう。ギリギリと音を立てるものだけでなく、音を立てずに強く食いしばるタイプもあり、知らず知らずのうちに歯や顎にダメージを蓄積させてしまいます。
朝の顎のだるさと歯ぎしりの関連
では、なぜ歯ぎしりをすると朝、顎がだるくなるのでしょうか。人間の噛む力は、実はご自身の体重と同じか、それ以上の力がかかると言われています。夜通し、そんな強い力で歯をこすり合わせたり、食いしばったりしていれば、顎の関節や周りの筋肉(咀嚼筋)が疲弊してしまうのは当然です。これが、朝起きたときの「だるさ」や「痛み」「口の開きにくさ」といった症状の正体です。この状態が続くと、顎関節症という、より深刻な問題に発展するリスクも高まります。
歯ぎしりの種類と特徴
歯ぎしりには、大きく分けて3つのタイプがあります。ご自身がどのタイプかを知ることも、対策の第一歩です。
| 種類 | 特徴 | 音 | 主な影響 |
|---|---|---|---|
| グラインディング | 上下の歯をギリギリと強くこすり合わせる、一般的にイメージされる歯ぎしり。 | あり | 歯のすり減りが最も大きい。 |
| クレンチング | 上下の歯を「ぐっ」と強く噛みしめる。食いしばりとも呼ばれる。 | なし | 歯や歯茎、顎関節に大きな負担がかかる。 |
| タッピング | 上下の歯をカチカチと小刻みにぶつけ合う。 | あり(小さい) | 比較的稀だが、歯に細かいダメージを与える。 |
歯ぎしりが引き起こす歯と顎への悪影響
歯ぎしりは、単に顎がだるくなるだけではありません。お口の中や、時には全身にまで、さまざまな悪影響を及ぼす可能性があります。
歯への直接的なダメージ
- 歯のすり減り:歯が徐々に削れ、短くなってしまいます。
- 歯の欠けやひび割れ:強い力で歯が欠けたり、目に見えない細かいひびが入ったりします。
- 知覚過敏:歯の表面のエナメル質が削れることで、冷たいものや熱いものがしみやすくなります。
顎と全身への影響
- 顎関節症:口が開けにくい、開けると音がする、顎が痛むといった症状が出ます。
- 頭痛・肩こり:顎周りの筋肉の緊張が、首や肩の筋肉にまで影響を及ぼします。
- 歯周病の悪化:歯ぎしりの力で歯が揺さぶられ、歯周病の進行を早めることがあります。
- 詰め物・被せ物の破損:治療した歯の詰め物や被せ物が、割れたり取れたりしやすくなります。
あなたは大丈夫?歯ぎしりのセルフチェック
ご自身の歯ぎしりの可能性をチェックしてみましょう。当てはまる項目が多いほど、注意が必要です。
- [ ] 朝、起きたときに顎が疲れている、または痛い。
- [ ] 歯がすり減って短くなった、あるいは平らになった気がする。
- [ ] 冷たいものがしみる(知覚過敏)。
- [ ] 歯の詰め物や被せ物がよく取れる、または割れる。
- [ ] 頬の内側や舌に、歯を押し付けたような跡がある。
- [ ] 家族やパートナーから、歯ぎしりを指摘されたことがある。
- [ ] 原因不明の頭痛や肩こりに悩んでいる。
もし2つ以上当てはまるようでしたら、一度、かかりつけの歯科医院で相談されることを強くお勧めします。
マウスピース(ナイトガード)が歯を守る仕組み
歯科医院で歯ぎしりを相談すると、多くの場合「マウスピース」の使用を提案されます。これは「ナイトガード」とも呼ばれ、夜寝るときに装着することで、歯ぎしりの力から歯や顎を守るための装置です。
マウスピースの4つの効果
マウスピースには、主に以下のような効果が期待できます。
| 効果 | 具体的な働き |
|---|---|
| 1. 負担の分散 | 歯ぎしりの強い力をマウスピースが受け止め、特定の歯や顎関節に集中するのを防ぎます。 |
| 2. 歯の保護 | 歯の代わりにマウスピースがすり減ってくれるため、ご自身の歯が削れるのを防ぎます。 |
| 3. 修復物の保護 | 詰め物や被せ物といった、治療した歯を破損から守ります。 |
| 4. 歯の位置の固定 | 歯周病などで少し揺れている歯を固定し、歯並びが悪化するのを防ぐ効果も期待できます。 |
マウスピースは「歯ぎしりを治す」ものではない
ここで大切なことをお伝えします。マウスピースは、あくまで歯ぎしりによる「ダメージを軽減する」ためのものであり、歯ぎしりそのものを「根本的に治す」ものではありません。歯ぎしりの原因はストレスや噛み合わせなど、複合的な要因が絡んでいるため、マウスピースだけで完全に止めることは難しいのが現状です。しかし、現状で最も有効かつ安全な対症療法であることは間違いありません。
マウスピースの選び方と種類
マウスピースには、実はいくつかの種類があります。正しい選択が、効果を最大限に引き出す鍵となります。
ハードタイプとソフトタイプの違い
歯科医院で作るマウスピースには、主に硬いプラスチック(レジン)でできた「ハードタイプ」と、柔らかいゴムのような素材でできた「ソフトタイプ」があります。
| タイプ | 素材 | メリット | デメリット |
|---|---|---|---|
| ハードタイプ | 硬いプラスチック(レジン) | 耐久性が高く、歯をしっかり守れる。噛み合わせの微調整が可能。 | 装着時の違和感がやや強い。 |
| ソフトタイプ | 柔らかい樹脂 | 装着感が良く、初心者でも慣れやすい。 | 耐久性が低く、破れやすい。食いしばりを助長する可能性も。 |
私のクリニックでは、特別な理由がない限り、ハードタイプをお勧めしています。ソフトタイプは装着感が良い反面、グミのように噛み込んでしまい、かえって食いしばりを強くしてしまうことがあるからです。長期的に見て、確実に歯を守るためにはハードタイプが優れていると考えています。
市販品と歯科医院製のマウスピース
最近では、スポーツ用品店やインターネットで、お湯で温めて自分で成形するタイプの市販のマウスピースも手に入ります。手軽で安価なのは魅力的ですが、歯科医師の立場からはお勧めできません。なぜなら、ご自身の感覚で作ったマウスピースは、噛み合わせが不正確になりがちで、かえって顎の関節に負担をかけてしまう危険性があるからです。人間の噛み合わせは非常に繊細です。必ず、専門家である歯科医師の診断のもと、ご自身の歯型にぴったり合ったカスタムメイドのものを作りましょう。
マウスピースの費用と保険適用
保険適用の条件
歯科医院でマウスピースを作る場合、多くは健康保険が適用されます。ただし、これには「歯ぎしりによって、すでに何らかの症状(歯の摩耗、顎の痛みなど)が出ている」という診断が必要です。単に「予防のため」という理由だけでは保険適用外となる場合がありますので、まずは歯科医師にご相談ください。
費用の目安
保険が適用された場合、3割負担の方でおよそ3,000円から5,000円程度が一般的です。市販品に比べれば高価に感じられるかもしれませんが、ご自身の歯を生涯守るための「投資」と考えれば、その価値は十分にあると言えるでしょう。なお、一度作ったマウスピースを紛失したり、破損したりして6ヶ月以内に作り直す場合は、保険が適用されず自費診療となるのが一般的です。大切に扱いましょう。
歯ぎしり対策は「マウスピース+生活習慣改善」
最後に、私の恩師の言葉を思い出します。「患者さんの人生を診なさい」。お口の健康は、その方の生活習慣や人生そのものと深く繋がっています。マウスピースは非常に有効なツールですが、それだけに頼るのではなく、ご自身の生活を見直すことも大切です。
マウスピース以外の対策
- ストレス管理:趣味の時間を作る、リラックスできる環境を整えるなど、ご自身に合った方法でストレスを溜めない工夫を。
- 生活習慣の見直し:就寝前のカフェインやアルコールの摂取は、睡眠の質を下げ、歯ぎしりを誘発することがあります。控えるようにしましょう。
- 日中の癖の意識:日中、無意識に歯を食いしばっていませんか?「上下の歯を合わせない」と意識するだけでも、筋肉の緊張は和らぎます。
まとめ
朝の顎のだるさは、身体が送る大切なサインです。その原因が夜中の歯ぎしりにあること、そして、そのダメージから歯を守るためにマウスピースがいかに有効であるか、ご理解いただけたでしょうか。
大切なのは、問題を放置せず、専門家である歯科医師に相談することです。ご自身の歯に合ったマウスピースを正しく使用し、生活習慣を見直すことで、不快な症状はきっと和らぎます。
「歯は“老後の資産”」。これは私が常々、患者さんにお伝えしている言葉です。いかに早くからその価値に気づき、守るための行動を起こせるかが、あなたの未来の健康を大きく左右します。この記事が、その第一歩となることを心から願っています。



